『古事記』 (日本の古典をよむ 1) (小学館) 山口 佳紀,神野志 隆光

警察庁の発表によると正月三が日に神社、仏閣へ初詣する人の数は2009年で9,800万人、毎年おおよそ1億人にのぼるという。日本の人口が約1億2,000万人だから10人中8人が出かけていることになる。統計方法が少々気になるものの、いずれにしても相当数であることには違いない。

神社に祀られている「神様」も様々だ。明治神宮の明治天皇、昭憲皇太后や靖国神社のように国事戦没者を祭神としているところもあるが、一般的な神社は『古事記』、『日本書紀』に登場する神々を祀っていることがほとんどである。伊勢神宮内宮の天照大神(アマテラスオオミカミ)、出雲大社の大国主神(オオクニノヌシノカミ)、氷川神社、八坂神社の須佐之男命(スサノオノミコト)、諏訪神社の建御名方神(タケミナカタノカミ)などが代表的な例だ。

折しも昨年(2012年)は、日本創生の神話が綴られた『古事記』完成から1300年に当たる年であった。学校などで「神々の物語や国造りについて書かれたもの」と教わった記憶はあるものの、誰が何のために書き残したのか、詳細な内容となると、甚だ心許ない人が大半ではなかろうか。我が国最古の歴史書『古事記』とは一体どのようなものなのだろう。

今回、取り上げた小学館の『古事記』は、時代を超えて読み継がれている作品20編を集めた「日本の古典を読む」シリーズの第一巻で、ビギナー向けに現代語と原文を比較しながら読めるようになっているほか、巻頭のカラー特集では写本や美術品写真まで掲載している。難解な古典をわかりやすく編集したお薦めのシリーズだ。さらにイラストレーター松尾たいこ氏が描いた思わず手に取りたくなってしまう「和」テイストの装画デザインが素晴らしい。(余談だが彼女の夫がITジャーナリストの佐々木俊尚氏と知って驚いた)

『古事記』は壬申の乱で危機を乗り越えた第40代天武天皇が712年(和銅5年)、中央集権国家を確立させるために、歴代天皇の系譜と伝承の記録を稗田阿礼(ひえだあれ)に暗誦させたことから始まったとされる。その後天武天皇は崩御、最終的には女帝の第43元明天皇が太安万侶(おおのやすまろ)に命じて撰録された。書物は上・中・下の3巻からなり、上巻は天皇政治の根本聖典とする目的が記されている序文と神代(かみよ)の物語、中巻と下巻は人代(ひとよ)の物語までたくさんの神話、伝説、歌謡が組み込まれている。

もう少し詳しく中身を述べると、神代の上巻には、私たちがよく知る伊邪那岐命(イザナギノミコト)と伊邪那美命(イザナミノミコト)による日本列島誕生、イザナギの長女アマテラスオオミカミの岩屋戸、スサノオノミコトの八俣大蛇退治、オオクニノヌシノカミが助けた因幡の白兎、山幸彦火遠理命(ホオリ)と豊玉毘売命(トヨタマビメ)の海宮生活など、神々の登場と国の誕生が描かれている。

中巻には神話から実在したとされる人代・人間天皇の時代へ移る。初代神武天皇による東征や八咫烏の道案内のエピソードから第11代垂仁天皇時代のサオビコ王の乱、第12代景行天皇の子息英雄ヤマトタケルノミコトの武勇伝と悲劇、最終話は第15代応神天皇時代までだ。

下巻では「国見」によって炊事の煙が見えない町並みから民の貧困を察し、租税を免除したことで有名な第16代仁徳天皇から初の女性天皇となった第33代推古天皇までを収める。初代神武天皇の誕生が紀元前660年で最終話の推古天皇の没が628年。古事記は少なくとも約1300年以上の歴代天皇の記録を時系列に描かれている。まさに「天皇の天皇による天皇のための書」なのだ。


読み進めていくと、古代人が繰り広げてきた何とも幼稚な愛憎悲喜劇が見えてくる。親が子を殺し、兄が弟を貶め、夫と妻が諍いを起こす。その余りにも生々しくエゴイスティックな様子は、光り輝く神々というより本能だけで生きる人間の様でもある。大蛇を退治して出雲に降り立つ以前のスサノオノミコトは凶暴な子どものようで手が付けられないし、謀略でライバルを次々と殺したヤマトタケルノミコトのやり方も決して格好の良いものではない。なんとも人間臭いドラマチックな古伝であることか。

他方で、『古事記』ほど「日本人とは一体何者なのか」という難解な問いに対し、明快な答えを持ち合わせている資料もないだろう。日本人は古来、海や山、森などの自然界を神と崇め、鳥や鹿や猪、鮫など動植物・海洋生物を畏れ敬ってきた。歴代天皇は国家の五穀豊穣と平和を真摯に願い神や祖先を祭ってきた。それは2,000年以上に渡って脈脈と育まれてきた素晴らしき土壌である。昨今散見される利己的排他的な精神ではない。私たち日本人の精神に根付いた尊きアイデンティティーなのである。