ピュリツァー賞を3度受賞したトーマス・フリードマン氏が2006年に上梓した名著。
インターネットの普及、物流の驚異的な進歩によって世界の経済は国境の壁をいとも簡単に飛び越え、フラット化した一つのマーケットへと変化しつつある。
IBM、デル、HP、マイクロソフト、トヨタ、ソニーなどの国際企業はもちろん、先見の明のある日本の中小企業も、コスト低減や為替リスクの分散、時差による生産の効率化を求めて中国、インド、ブラジルなどの人的資源が豊富な国に進出しており、このグローバル化、つまり適材適所を求めた雇用のシフトはもう始まっている。日本の企業が、香港で企画をして、中国で作って、イギリスで販売して、インドでサポートを行う事が当たり前になってきたのだ。実にエキサイティングで面白い時代である。
そうなると当然、米国や日本などのGDPが高い先進国では、工場の組み立てなど比較的単純な作業は低賃金の他の国に取って変わられる。企業が営利を求めるものである以上、人間が豊かさを求めるものである以上、この変化は逃れる事の出来ないもので、GMの労組がいくら雇用を求めて叫んだところで経済の原理原則から見てもありえない。(もっともアメリカは人口3億を抱える世界有数の消費マーケットだからまだ良いが)
では職を奪われた先進国の人たちはどうすればいいのだろうか。この上下巻で800ページにも及ぶ氏の著書では、実に明確に私たちが進むべき道を示してくれている。
私たちは現在の仕事よりさらに高度でクリエイティブ(創造的)な仕事へと脱皮を図らなければならない。1つ上、2つ上のレイヤー(仕事の階層)へ、必死に勉強をして階段を上がらなければならないと、氏は説く。ぼやぼやしていると下から、生きるのに必死な層がどんどん上に上がってくる。低賃金で圧倒的なパワーを持つ層だ。だから私たちは「今の仕事が良い・・現状維持で出来れば定年までいきたい・・」などとは言っていられないのだ。
考えてみれば、人間は昔、漁や農耕で生計を立てていた。そのうち手織り屋、鍛冶屋、パン屋、服屋などの自営業が出てきた。そして1700年代後半、産業革命で工場が登場し、分業による大量生産が始まった。数名でやっている鍛冶屋などひとたまりもなかったはず。その度に人間は食べていくため、必死に努力して新しい技術を身につけ転身を図ってきたのだ。百年単位の構造変革だと言われている現代はまさしくその波のまっただ中なのだろう。
上へ上へレイヤーを上がっていけばその内頂上に出て仕事が無くなるのではないかという意見もある。だが各地で勃興する多くのイノベーション(人類の叡智)によって、新たな産業は山ほど登場しているから心配はいらないと氏は言う。確かに私が携わるレンタルサーバーやホームページ制作だって15年前はほとんど無かった。ある業種に特化したコンサルティングなども自分の知的才能を生かしたクリエイティブな仕事だろう。要は無ければ自分で作れば良いだけなのだ。
翻って現在の日本。経済格差、地方格差が生まれたのは小泉改革のせいだと声高に言われているが果たしてそうなのだろうか。確かにその面はあるのかもしれないが、改革と世界的な不況(リーマンショック)が偶然重なっただけで、本質的なところはフリードマン氏が言うように、グローバリズムの波が本格的に日本の地方にも押し寄せてきたからではないだろうか。