『三四郎』 (新潮文庫) 夏目 漱石『三四郎』 (新潮文庫) 夏目 漱石 明治41年朝日新聞に連載開始

進学が人生最初の転機だったという人は多い。生まれ育った町の高校を卒業後、進学や就職のために都会へ上京し、新しい生活を始める。親元を離れての一人暮らしは、期待と不安の入り交じったものだが、自立への第一歩でもある。私も父の転勤の関係で中学の時に九州から埼玉へ引っ越した。ブルートレインに乗って上京した東京は大きく、山手線と京浜東北線など何本も並行して走る電車や雲の上まで突き抜ける多くの高層ビルなど九州にはない未来的な光景にはいたく感動したものだ。

『三四郎』の主人公小川三四郎も熊本の旧制五高卒業後に東京帝国大学進学のため上京した。首都東京で見る新しいものに感嘆する日々を送る中、奔放で先取的な女性美禰子との出会い、学内の対人関係の悩みを通して、大人へと成長していく、『三四郎』はそんな青春小説である。漱石は自身の経験を基にしたと言われる本著を明治41年(1908年)に発表、三四郎と美禰子が出会った東大の育徳園心字池は「三四郎池」として有名になった。

この小説が今なお多くの読者を惹きつけてやまないのは、青年三四郎が遭遇する青春特有の悩みや喜びに共感する部分が多いからだろう。九州の田舎出身のコンプレックスなのか、持って生まれた故の性格なのか、内向的で何事においても受動的な三四郎は、正反対の性格を持つ与次郎と知り合い、時には彼の浅慮な行動に翻弄されながらも、多くの学生や里見美禰子という魅力的な女性と知遇を得た。

東京帝国大学と言えば全国の知識階級の集合体である。それは九州には無い美しく深厚な、しかし田舎者の彼にはどことなく近づきにくい世界だった。彼は想像の中で故郷と都会を結びつけた。当時の都会に出てきた特に優秀な若者はみな故郷の重い期待を背負っている。学問を深めて、立身出世し、故郷から母を呼び寄せ、美しい女性と結婚して、豊かに暮らすという人生である。九州から頻繁に届く手紙で自身の根っこを再確認すると同時に彼の模索が始まる。

彼は人生で初めて「無意識の偽善者-アンコンシアス、ヒポクリット」という人間が持つ観念と出会う。三四郎が生きる狭い世界にも巻き起こる無数の自我が彼を苦しめる。美禰子から感じる態度もまさしくそうであった。若さ故多くの選択肢や指標を持たない彼は苦悩した。つまりなかなか自分の思い通りに行かないのだ。彼の世界は峻烈に流れ、そして美禰子を失った。

人生とは短くもあり長くもある。沈黙を破った開花の如く喜び溢れる時期もあれば進路が見えない灰色の暗澹たる時期もある。ただ少なくとも青春は、40代、50代と10年単位で片付けられるような時代と違い、19歳、20歳、21歳と1年ごとに人生が描かれる夢や希望に満ちた活力みなぎる時期である。人生の基礎ともいうべき青春時代を懸命に生きるかどうかで人間的魅力や能力は変わってくる。失恋した三四郎の人生も振り出しに戻った訳ではない。この悲痛な経験が大きな糧となって成長したはずである。

■東京大学 三四郎池
http://fukutake.iii.u-tokyo.ac.jp/facilities_nearby-sanshiro_pond.html