『奉教人の死』 (新潮文庫) 芥川 龍之介『奉教人の死』 (新潮文庫) 芥川 龍之介 大正5年~


新潮文庫の『奉教人の死』は芥川龍之介の著書の中でいわゆる切支丹(キリスト教徒)ものと言われる計11編を収める。大正5年初出の「煙草と悪魔」から「さまよえる猶太人(ゆだやじん)」「奉教人(ほうきょうにん)の死」「るしへる」「きりしとほろ上人伝」「黒衣聖母」「神神の微笑」「報恩記」「おぎん」「おしの」そして大正13年の「糸女覚え書」までで彼が24歳から31歳までの間に書かれたものだ。

主な作品をいくつか取り上げてみよう。表題の「奉教人の死」は長崎を舞台に「ろおれんぞ」と呼ばれる切支丹少年の運命に翻弄された悲劇を描く。奉教人とはキリスト教信者のことである。飢え疲れ倒れていたところを奉教人に助けられ、「えけれしや(教会)」で養われる身となった少年「ろおれんぞ」は、天涯孤独の身の上、その風貌や言動、子どもとは思えぬ厚い信心から「天使」の生まれ変わりと囁かれるほどであった。だが3年の月日が過ぎた頃、町の娘を身籠もらせたという噂が立ち、怒った大人たちから教会を追放されてしまう。行く当てなどなく再び乞食同然になってしまった「ろおれんぞ」。村八分の仕打ちを受けた彼にさらに悲しい結末が待っていた。

イエズス会修道士26人の処刑など秀吉時代の長崎はキリシタン弾圧が烈しかった。芥川はその悲劇を材に取り、史実と空想を巧みに織り交ぜ、格調高くもトラジック(悲劇的)な短編を完成させた。天草切支丹版『平家物語』に倣ったとされる一風変わった「ものじゃ」「ござろう」の文体もどこか異国風で臨場感をもたらす。「ろおれんぞ」の哀れな生涯はどことなく母親の発狂と死によって養子に出された芥川の暗く鬱屈した少年時代を映し出しているようだ、と思うのは少し穿ち過ぎであろうか。

キリストを背負って川を渡ったと言われる聖クリストフォルスの伝説を描いた「きりしとほろ上人伝」も「奉教人」と同様に切ない。水嵩多く流れの速い大河での渡し役を隠者から命じられた大男「れぷろぼす」は、雨風厭わずに役目を勤めていた3年目の嵐の夜に、突如河岸に現れたひとりのわらんべ(子供)から「父のもとへ帰りたい」と河渡しを懇願される。稲妻光り風雲轟く洪水の河に飛び込めば間違いなく死ぬ。しかし「れぷろぼす」は子どもを抱えて河の中へ進んでいく・・・・。信仰に殉じた男を崇高に潤色している。私たちは課せられた使命のために命を投げ打つことが出来るだろうか。芥川は自己犠牲という人間にとって最も困難かつ苦渋のテーマを私たちへ提起する。

「報恩記」は、世間を騒がせた大盗賊阿媽港甚内の逮捕とさらし首処刑をめぐって、3人の男による独白で物語が進んでいく。盗賊本人と以前阿媽港を助けた分限者の北条弥三右衛門、阿媽港に憧れる放蕩息子の弥三郎の語り口調スタイルは名作「藪の中」を彷彿させる。端からみればただの盗賊の刑死であるが、絡み合った三者三様の思惑が告白によって明らかになっていく。その過程が面白い。人間は世の中で起きたことを全て知る事も、人の心情を全て理解する事も無論出来ない。だからうまく回っていくとも言えるのだが、本作では真相を一つの俎上に載せる事で、人間の勝手な思惑や功利心を巧妙に浮かび上がらせている。

ところで芥川龍之介が切支丹に関する作品を数多く書いたのはなぜだろう。彼は特にキリスト教徒という訳ではない。20代の頃に友人と何度か礼拝に行った事がある程度のようだ。しかし「ぼんやりした不安」の言葉を遺し自殺した彼の枕元に、直前まで読んでいたと思われる「聖書」が残されていたのは有名な話である。我が国におけるキリスト教の歴史は迫害弾圧そのもので、踏み絵、火あぶりによって多くの信者が殉教していった。そう殉教である。自らの身体を犠牲にして神に捧げるその強い精神は、ある意味、他者を寄せ付けない強烈な自己完結である。その唯我的な思想はともすれば狂気とも言えよう。まるで「地獄変」の絵師のようである。芥川は自身が追求した「芸術のための芸術主義」の答えにこの究極の姿を見出したのであろうか。信仰による自己犠牲の中に崇高な美の光を見たのかもしれない。