『法然の涙』 (講談社) 町田 宗鳳 2010年発刊
昨年(2011年)は浄土宗宗祖の法然上人800年大遠忌であった。総本山の京都知恩院や大本山の芝増上寺での記念事業はもちろんのこと、同事業の一環として東京国立博物館で開催された特別展「法然と親鸞 ゆかりの名宝」にも多くの観覧者が訪れたそうだ。震災、原発で先行きに不安を感じた人が多かったのだろうか、この手の展覧会としてはかなり盛況だったらしい。
私たちの生活と密接に結びついている宗教。特に日本は仏教徒の多い国である。仏教が日本に伝来したのは飛鳥時代の頃であるから、もう1,500年以上も日本に根付いていることになる。普段から怠惰な生活を送っている私などは宗教について話す資格などないのだが、それでも実家のお墓は仙台の浄土宗派・愚鈍院というところにあるので、法然に関連する書物は時々手に取っている。
武士の子として美作国(現岡山県)に生まれた法然が仏の道を歩むきっかけとなったのは、夜討ちで非業の死を遂げた父の「仏門の道を歩め」という遺言であった。父の死後、9歳で出家した法然は、那岐山菩提寺、比叡山延暦寺、西塔黒谷での25年にも及ぶ修行を経て、43歳の時に恵心僧都源信の『往生要集』、善導大師の『散善義』から「専修念仏」を見出し、独自の仏教観を確立する。その思想は貧富の差や有識無識、字が読めない人も男女も関係なく「南無阿弥陀仏」と唱えればだれでも極楽に行けるというもので、これまで出家信者や一部貴族、富裕層だけのものだった宗教に平等の思想を持ち込んだ。旧態依然と政争に明け暮れる宗教界に革命を起こしたのだ。
『法然の涙』は、政が混迷する平安末期を生きた法然激動の一生を、NHK「こころの時代~法然を語る」で講師を務め、法然に関する数多くの書を著している宗教学者・町田宗鳳氏が書き下ろしたものだ。著者は14歳で出家し京都の寺で修行、その後ハーバード大学神学部、ペンシルバニア大学東洋学部で学び、現在は広島大学大学院で教授を務めるという。何ともユニークな経歴の持ち主ではないか。
巷に多くある法然本の中でも本書は実にわかりやすい。一般的に仏教関連本は難解な専門用語が多い上に、時代背景も遙か昔の事であるから、とかく私たちは敬遠してしまいがちであるが、法然が字の書けないような無識の人にも理解できる平易な言葉で往生を説いたのと同様に、本書も法然の教えを現代言葉に置き換え読みやすくした著者の配慮が伺える。子どもにもお薦めである。
読み終えてあらためて法然の偉大さを認識する。鴨長明の『方丈記』などに見られるように平安時代の京都は、安元の大火、治承の大火、治承の竜巻、養和の大飢饉、元暦の地震と数多くの災害に見舞われていた。特に大飢饉では餓死者が何万人も道端に倒れ、その状態はまるで生き地獄のようであったと言われる。人々の不安や恐怖は相当なものだったろう。
そんな時代に法然は登場した。「打ち続く天災人災で、すっかり心が萎えてしまった人々も、法然の話を聞いているときだけは、一条の光明を見るような気になった」と言われるように、前関白九条兼実、式子内親王、建礼門院などの殿上人や勇敢な武士であった熊谷次郎直実、甘糟太郎忠綱、陰陽師阿波介、さらには強盗耳四郎まで多くの人々が法然のもとに集い、そして助けを求めた。
法然は微笑みながら優しく答える。「恐かったでしょう。不安だったでしょう。でも大丈夫です。人はいつか死ぬのです。遅いか早いかは天が決めてくれるのです。これまで如何なる悪行を重ねた人も天は絶対に見捨てません。懸命に唱えれば地獄に行くことはありません。みんなで一心に唱えましょう」。その教えは没後800年を経た今も私たちの心に生き続けているのである。