津田宣秋のブログ|読書レビュー

ツアーオンライン株式会社(東京都立川市)代表取締役津田宣秋の読んだ本の感想が中心のブログです。森鴎外、井伏鱒二、吉川英治、菊池寛が好きです。ホームページ制作やサーバー、温泉ガイドぽかなび.jpの運営を行っています。書評レビュー。

2012年01月

『草枕』 (新潮文庫) 夏目 漱石『草枕』(新潮文庫) 夏目 漱石 1906年(明治39年)

漱石は、1905年(明治38年)に正岡子規の弟子であった高浜虚子に勧められて『吾輩は猫である』を書いて以降、プロの小説家としてのスタイルを模索するかの如く様々な系統の作品を試みている。江戸寄席を思わせる諧謔文学の『我輩・・』や『坊っちゃん』、近代ヨーロッパを舞台に情緒的甘美を描いた『幻影の盾』」『薤露行』、旅行記ともいえる『倫敦塔』などで、『草枕』もその一つだ。

本書は「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」の有名な冒頭で始まる漱石の初期作で、せせこましい浮き世を疎んじて、世間離れた山奥の温泉へ逃避した主人公の青年画家と、投宿先の才気溢れる魅力的な次女那美やご隠居、僧侶との出会いを絵画的情緒をもって描く。

青年画家は温泉に向かう山道で「喜びの深きとき憂愈深く、楽しみの大いなる程苦しみも大きい。これを切り放そうとすると身が持てぬ。片付けようとすれば世が立たぬ」と苦悩を漏らす。これは恐らく当時の漱石の心情そのものだろう。ロンドン留学で苦悩した彼にとって、愛とか正義とか権利、主張に積極的に首を突っ込み、苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりする西洋的な社会は実に疎ましく、むしろ中国の詩人陶淵明や王維らの「社会のわずらわしさを脱した心境と自然への賛美」をうたう東洋思想に拠りどころを求めつつあった。

逗留中、主人公は俗世に流されそうになる自分を戒めるように「非人情、非人情」と呟く。「非人情」とは「義理人情の世界から超越して、それにわずらわされないこと」。彼はそのために山奥の温泉まで来たのである。しかし突然と男風呂に入ってきたり、急に振り袖姿になって目の前に登場したり突飛な行動を取る奈美に対して、最初は戸惑いつつも、徐々に恋愛感情を抱き始める。観梅寺の坊さんや馬子の源さんとの何気ない会話の中にも安堵の心が見受けられるのである。以前住んでいた世界とは違った穏やかで素朴な「人情」が彼の心を融解していくのだった。

「夏目がどうやら発狂したらしい」と噂された留学先のロンドンから帰国して3年。二松學舍時代に無我夢中で学んだ漢籍を礎とする東洋的情緒やシェイクスピアやウィリアム・ワーズワースなどイギリス文学への憧憬とロンドン留学時代に抱いたヨーロッパ的個人主義(エゴイズム)への違和感が混淆していた漱石は、本書で「余裕は画に於て、詩に於て、もしくは文章に於て、必須の条件である」と、後の「余裕派」と言われるきっかけともなった人生に対して余裕を持って望む生き方、主義を目指した。本書は漱石の作品が人間の深淵描写に踏み込んでいく第一歩となったのである。

私たちはこの世で生まれてきた以上、多くの人と交わりながら生きて行かざるを得ない。一人では生きていく事ができないのである。漱石が忌み嫌った主義主張の強い西洋的観念の中で生きていくことも仏語の利他精神にみられる自身より他人の幸福を願う東洋的観念の生き方も、源を辿っていくと、環境は違えども、人を愛する感情や人間の自然な心情で形成される社会へと結びつく。つまり世の中とは私たち人間そのものなのである。

■熊本県玉名市「漱石・草枕の里」 http://www.kusamakura.jp/

『倫敦塔・幻影の盾』 (新潮文庫) 夏目 漱石『倫敦塔・幻影の盾』 (新潮文庫) 夏目 漱石

漱石は空想の人である。幻想の位置は日本は無論の事、漢から欧、中世時代まで往古来今、止め処も無く駆けめぐる。それは妻から見れば「狂気である」と言われていたほどで、作品の彼方此方に見られる無自覚の発展は、自身の内部を襲う懊悩煩悶を表していた。漱石の年譜を追っていくと、どうやらそれは33歳の時、熊本の旧制第五高校教授時代に文部省の命により2年間、英国留学したあたりから顕著であったようで、当時世界で最も進んでいたロンドンでの滞在は、あらためて日本のアイデンティティーを思索する良い機会であったのと同時に、軍事列強英国の力を思い知らされ、戦争の深みに嵌っていく日本への深い憂慮を抱く事にもなった。遠く10,000kmも離れた異国での孤独な潜考が漱石の神経を衰弱させたのだろう。

新潮文庫の『倫敦塔・幻影の盾』には、その苦悶のロンドン留学時代を綴った「倫敦塔」と「カーライル博物館」、「幻影(まぼろし)の盾」「琴のそら音」「一夜(いちや)」「薤露行(かいろこう)」「趣味の遺伝」の全7編が収められている。これらは漱石が39歳の時の作品「吾輩は猫である」とほぼ同時期に執筆した「倫敦塔」から始まり、わずか1年の間に立て続けに発表した数々の短編をまとめた、いわば漱石初期短編集の位置付けである。

「倫敦塔」は英国滞在中、研究の合間を縫って訪れたロンドン塔を材にしたもので、600年もの昔、塔が処刑場として使われていた中世時代にタイムスリップした漱石は、無数の「生きながら葬られたる幾千の罪人」を思い浮かべ、怨念とともに屠られた人々、城主だったリチャード二世と王位を継承したヘンリー四世、彼等に処刑されたエドワード5世やヨーク公ら血族争いに敗れた無残な幻影の世界を見る。「幻影の盾」「薤露行」は鴎外の「うたかたの記」「文づかひ」を感じさせるヨーロッパの薫香満ちるロマンチックな恋愛物語である。伊藤整曰く「イギリスの伝説系文学に材を得た叙事詩的散文」であり、漱石にとって英国滞在で得たものとは国命の英語研究ではなく、好んで読んだシェイクスピアやディケンズ、オリヴァー・ゴールドスミス、アルフレッド・テニスンら英文学の操觚者との時代を超越した対話だったのかもしれない。

一方、「琴のそら音」「一夜(いちや)」「趣味の遺伝」は、東京を舞台に漱石らしき主人公と周囲の日常的な生活風景を滑稽に描く。時代は恐らく発表年と同じ1905~6年あたりであろう。作風イメージは「吾輩は猫である」に近い。この3作でも漱石のとどまるところを知らない空想癖がストーリーの支柱をなしており、「琴のそら音」では私と同じ名前の心理学を学ぶ友人の「津田君」と犬の夜鳴きは不幸の前兆と信じるお手伝いの婆さんから、婚約者がインフルエンザで死ぬのではと脅され不安になる漱石の心情がユニークだ。

「趣味の遺伝」に至っては全編妄想である。日露戦争で戦死した友人の墓碑の前に立つ一人の美女と遭遇した漱石は、「彼女はいったい友人とどんな関係だったのか」が気になって、得意の執拗な推理と誇大な妄想を開始する。仕事そっちのけである。しかも妄想の舞台は戦場となった満洲、乃木大将と出会った新橋、そして出会った女性とその先祖まで変遷し遡る。ここでいう「趣味」とは男女の両思いを指すらしい。つまり両思いの遺伝である。自分の妄想を本業の遺伝研究に無理矢理結びつけようとする漱石が何とも可笑しい。

冒頭に印象的なシーンがある。日露戦争で大国ロシアを破った英雄乃木希典達の凱旋帰国を一目見ようと、群衆でごった返す新橋停車場を偶然通りかかった漱石の興奮振りがすごいのだ。「万歳!万歳」の歓声が止まない中、目の前を通り過ぎた乃木の日に焼けた顔と白髪を見て漱石は涙を流す。そして「この凱旋の将軍、英名赫々たる偉人を拝見するために飛び上がるのは滑稽ではあるまい。・・滑稽だってかまうものか。見たいものは、誰が何と云っても見たいのだ。飛び上がろう、それがいい」と、後にも先にもこれ以上の跳躍は無いという勢いで跳び上がり、再び乃木を拝した喜びようはまるで子どものように無邪気だった。

先日のNHKドラマ「坂の上の雲」の最終話で日露戦争終結時に漱石が、「私たち文人は日頃偉そうな事を言っていても、戦争になると結局何も出来ず、ただただ軍人の後にいて守ってもらうしかない」と無力感を吐露するセリフがあった。英国帰りで現実的なものの見方をする漱石にとって、戦時中盛んに叫ばれた精神的な「大和魂」は揶揄の対象でもあったが、戦争という国家的事件を経て、乃木ら軍人を目の前にして出た言葉は「(彼等軍人は)大和魂を鋳固めた製作品である。・・・彼等は日本の精神を代表するのみならず、広く人類一般の精神を代表して居る」だった。こんなところにも漱石の微妙な心情の変化が感じ取れて興味深い。

『現代語訳 南総里見八犬伝』 〈上・下〉 (河出文庫) 曲亭馬琴『現代語訳 南総里見八犬伝』 〈上・下〉 (河出文庫) 曲亭馬琴


先日、テレビ特集で子どもの頃に見ていたゴレンジャーや仮面ライダー、ウルトラマンが出ていて懐かしく思った。「善をすすめ、悪をこらしめること」は古今東西、子どもはもちろん大人も歓喜する王道である。強き逞しい主人公のハリウッド映画や悪代官を追いつめる時代劇、それこそ先日42年の歴史の幕を閉じた水戸黄門など英雄は枚挙に暇がない。最近は簡単に答えの出ない複雑で混沌とした世相を反映してか、この手のシンプルなヒーローものがめっきり減ったという。勿体ない話である。

日本における「勧善懲悪」文学はいつ頃登場したのだろうか。歴史を辿ってみると江戸時代後期に源流の一つを見ることができる。幕府の官学であった朱子学、儒教思想の推進も相俟って、教訓的啓蒙的な内容を特徴とした「草子」、為永春水らの「人情本」「歌舞伎」などが多く読まれていた。厳しい階級社会に閉塞感を抱いていた庶民にとってこれらは鬱憤を晴らす娯楽の一つであったと思われる。

中でも『南総里見八犬伝』はその代表作として挙げられよう。戯作者として高名を馳せた曲亭馬琴(滝沢馬琴)が、室町時代を舞台に、安房(千葉県)の城主であった里見義実と主従の8名の若者を描いたもので、文化11年(1814年)、48歳の時に書き始め、完結したのが天保12年(1841)75歳の時、全98巻106冊にものぼる我が国最長の伝奇小説である。その馬琴の代表作を明治時代の大衆文学の巨匠であった白井喬二が独自の味付けで読みやすく抄訳したのが本書だ。

里見義実の愛娘だった伏姫と愛犬八房(はちふさ)の死後、空へ散っていった8つの不思議な光は「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の玉へと変わり、犬塚信乃、犬山道節、犬江親兵衛ら8名の若者に受け継がれた。生まれも育ちもバラバラだが祖先がいずれも里見家に仕えていたという共通点。彼らは数奇な運命のもと引き寄せられるように出会い、数々の戦や試練を乗り越えながら、やがて里見家のもとへと結束していく。物語は悪役の扇谷定正ら関東の管領連合と勇敢な八犬士の最終決戦でクライマックスを迎える。

今から200年近くも昔、江戸時代の庶民は勇敢な八犬士の縦横無尽な活躍に熱狂した。馬琴はこの血湧き肉躍るストーリーに犬や狸、狐、猫などの動物を怪奇、幻想的に取り入れ、作品をよりファンタスティックFantasticで夢あるものに仕立てている。里見家に飼われていた犬の八房が伏姫との結婚を願いともに出家する下りや二人の死後放たれた8つの光を受けて生まれた八犬士、父が化け猫とは知らずに生活を送っていた犬村大角、八房の犬を育てた牝狸の妙椿など家畜と人間が交わる少々グロテスクで妖艶な部分も多い。この特異な点も大勢の人に読まれた理由の一つなのだろう。

日本近現代文学の大家坪内逍遥は『小説神髄』の中で八犬伝の根底に流れる奨戒勧善を「いと陳腐(ふるめか)しき小説」「ひたすら殺伐残酷なる」「頗る猥褻なる」と、ワンパターンで現実に即さない内容を貶めているのだが、そうは言っても「善悪をわきまえて正しい行為をなす」という道徳観念は人間生来のものであろう。「悪を懲らしめること」はともすれば弱き立場に置かれがちな庶民が心の中で強く希求していることなのだ。

翻って現代の文学、特にテレビに携わる若い脚本家の観念はどうなのだろう。人間の本質を描くというもっともらしい言葉を建前にして、妬み、怨み、讒言ばかりをただ漫然とまるで鬱憤晴らしのように書いてはいないか。彼らもたまには馬琴や西鶴などを読んでみるといい。道徳とは何か、人間の良さとは何かが多少はわかるだろう。

 

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