『それから』 (新潮文庫) 夏目 漱石 明治42年(1909年)朝日新聞に連載開始
人間は自分の力では如何ともし難い出来事に遭遇すると心さ迷う。いまだ収まらない原発事故でも危惧しているのは、もう5ヶ月近く避難生活を余儀なくされている子ども達の中に厭世的な人生観が芽生えやしないかいう事である。日本の将来の担い手である少年少女の心が荒むのだけは避けたい。今こそ周囲の大人達の細やかなフォローが求められている。
夏目漱石の『それから』は明治42年(1909年)に朝日新聞に連載した青春小説で、三十にもなって定職につかずぶらぶらしている主人公長井代助が、むかし愛していた友人平岡常次郎の妻三千代と再会し、行き来しているうちに、再び心の中を占め始めたものの、同時に自分の人生の歯車も少しずつ狂い出す・・・という話である。
東大卒で優秀な頭脳を持つ代助は、現代の社会を二十世紀の堕落と呼び、近年膨張してきた生活欲によって道義感が崩壊させられた、お金のために働くことは汚いことで、お金に操られるのと同じである、自分は社会の隷属では無いと考えていた。だからと言って思想で収入を得られるほど著名でもなく、裕福な実家からの援助で生きている無自立な男だった。
代助がこのような虚無的な思想を持つようになったのは、実業で成功し莫大な冨を築いた父への嫌悪もあっただろう。本作が描かれたのは日清・日露で日本が連勝し、経済特需が起きていた頃だ。代助の父の会社はその恩恵を受け大きな利益をあげていたと想像出来る。しかし勝ち戦と言っても日清での戦没者は1万人以上、日露戦争に至っては8万人もの若者が亡くなった。鋭敏な感情を持つ代助は、戦没者の弔いすら忘れた父親や国民が目先の冨を浅ましく求める姿に、厭世の念を抱いていたのかもしれない。
代助を取り巻く環境は悪化していった。彼は、彼のいつまでたってもはっきりしない生き方に業を煮やした父や兄、兄嫁の要求を最後まで突っぱねた。蔑んでいた父からのみ養われている矛盾と事実を解消する。そして初めて自分自身の力で生きようと決意し、三千代のもとへ足を向けたのだった。
漱石は『それから』について「色々な意味に於いて“それから”である。『三四郎』には大学生の事を描たが、此小説にはそれから先の事をかいたから“それから”である。『三四郎』の主人公はあの通り単純であるが、此主人公はそれから後の男であるから此点に於いても、“それから”である此主人公は最後に、妙な運命に陥る。それからさきどうなるかは書いてない。此意味に於いても亦“それから”である」と言っている。
何だか禅問答のような人を小馬鹿にした感じすら受ける話だが、もし仮にあの小川三四郎の後年が長井代助であったら、漱石の中で少しはそのような意識があったなら、あれほど闊達であった青年が、如何ともし難い世の中に巻き込まれて変わっていく姿を、私たちは目の前で見た事になる。とすればこれほどやり切れない事はない。
■東北大学附属図書館 夏目漱石ライブラリ
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