津田宣秋のブログ|読書レビュー

ツアーオンライン株式会社(東京都立川市)代表取締役津田宣秋の読んだ本の感想が中心のブログです。森鴎外、井伏鱒二、吉川英治、菊池寛が好きです。ホームページ制作やサーバー、温泉ガイドぽかなび.jpの運営を行っています。書評レビュー。

2011年05月

『竹取物語(全)』 (角川ソフィア文庫) 角川書店 (編集)『竹取物語(全)』 (角川ソフィア文庫) 角川書店 (編集)  平安時代初期


『竹取物語』は、いつ、誰が書いたのか、実際のところわかっていないのだが、『源氏物語』の中でも出てくるのをみると、平安時代初期頃(900年代頃)の成立ではないかと言われている。無論、原本は残っていないので、時代時代の人に愛読され、書き写されながら残ってきた、日本最古の物語文学である。

私たちが幼少の頃に親しんだ『かぐや姫』は、竹の中から光を帯びて生まれた「姫」が大きくなるに連れて、その美貌が都中の評判となり、5名の貴公子や帝から求婚されるのだが、かぐや姫は彼らに対して無理難題な要求を出して結婚を断り、最後は月へと帰って行く、というような話だったと思うが、今あらためて古典を読んでみると、お伽噺だけに留まらない著者の言わんとするテーマを読み取る事が出来る。

当時は藤原家を筆頭にした貴族政治の全盛で、庶民がお上に抵抗する事は考えられない時代だった。立場の弱かった庶民の、しかも女性が貴公子や帝に対して、媚びるどころかけんもほろろに厳しい要求を突きつけ、追い返してしまうその痛快感。上下の立場が逆転する爽快感。ここは物語が今まで読み継がれている大きな部分だと思う。もっとも当時の庶民は識字率が低く、書物を読む環境にないので、下級貴族などが喜んで読んでいたと想像される。著者自身もこれほどの文章を書く人だから、学識が高いそれなりの地位にいる貴族なのだろう。


さらにこの物語の大きなポイントとして、かぐや姫自身の変化がある。求婚を受ける条件に無理難題を出した頃は、気性が激しく、要求を成し得ずに男が帰ってくると嘲笑し、誹謗すらしていた。だが、男たちが日本や中国、インドを駆けめぐり、なんとか要望のものを見つけてこようと、努力する懸命な姿を見ているうちに心境が少しずつ変化していった。帝の優しさにも心を打たれた。包容力に触れているうちに切ない感情が芽生え始めたのだ。育ててくれたお爺さんと、いよいよ別れなければいけないと決まった時には、さらにつらかった。毎日泣き続け、死ぬまで面倒を見てあげたいのに、と考える位に変わっていた。

彼女は、多くの人と触れあっているうちに、人を思いやる感情、人を愛する感情、別れや死をつらく思う気持ちが生まれていたのである。不老不死の月の世界には無い感情だろう。人間社会を通して彼女自身も大きく成長した。しかし「まだ地球に残っていたい」そんな彼女の願いも叶わない。無常である。いよいよ月から迎えが来る日、帝はかぐや姫を守るため、何千人という軍隊を配備させた。しかし月からの使者の前には無力だった。みんなに悲しまれながら、自分自身も涙を流しながら月へと帰っていった。愛すべき地球との永遠の別れである。

著者がこの『竹取物語』で据えたテーマには、人が持つ愛情の素晴らしさと人生の無常の悲しさ、儚さではないだろうか。人間の世界は永遠では無く、必ず別れが来るもの。親は子どもを育て、子どもは親の面倒をみる。それすらも無限ではない。一日一日を悔いの無いように生きようというメッセージでもあると思う。

 

 

『金色夜叉』 (角川ソフィア文庫) 尾崎紅葉(著)、山田有策 (編)『金色夜叉』 (角川ソフィア文庫) 尾崎紅葉(著)、山田有策 (編)  原文は明治33年に読売新聞にて連載開始


これまで幾度と無く熱海の観光名所「お宮の松」「貫一お宮の像」を見てきたものの、尾崎紅葉の『金色夜叉』がいつの時代のどんな物語なのかよく知らず、元禄時代の歌舞伎か浄瑠璃かと思っていたら、なんと明治時代の、しかも読売新聞に連載されていた人気小説だったと知った。元旅行会社として全くお恥ずかしい限りである。


物語は明治時代中期。一流大学で学んでいた間 貫一(はざま かんいち)は、居候していた家の娘・鴫沢 宮(しぎさわ みや)と将来を誓った仲だったが、彼女は突然、貫一を裏切って銀行家の御曹司と結婚してしまう。怒り狂った貫一は熱海の海岸で、泣いて謝る宮を蹴り飛ばし、罵詈雑言を浴びせる。このシーンが有名な熱海の銅像である。

世の中に対して復讐を誓った彼は、悪名高い高利貸しへと転身し、学生時代の友人すらも高利で追い込む冷酷な男になっていく。数年後のある時、貫一は偶然にも宮と再会する。復讐の怨念が蘇ってきた彼は・・・、というあらすじなのだが、貧富、暴力、高利貸し、復讐のラインナップはまるでテレビの昼ドラ復讐劇のようだ。もちろん昨今の低質なドラマ脚本家と尾崎紅葉を比べては失礼だが、明治時代とは思えない娯楽性と文化性の高い内容なのである。新聞紙上を賑わせたのも容易に想像できる。

貫一が追い込まれていく後半は非常にスリリングで怖い。復讐を誓ったはずの彼がなぜか追い込まれているのがこの物語りの一つのポイントである。二転三転、ドンデンしていくから息を付く暇もない。例えが的確では無いかもしれないが、映画「氷の微笑」で、マイケル・ダグラスが心理的な恐怖感に追い込まれていくシーンと似ているような気がするのだ。この『金色夜叉』もどこか演劇風というか映画風なところがあり舞台を意識した作品になっている。現代でも通用するストーリー構成はさすが尾崎紅葉だが、よく当時の読売新聞はこの内容で連載を許可したものだと思う。

尾崎紅葉の人生と取り巻く環境も興味深い。彼は1868年(慶応3年)の江戸生まれで、東京大学時代はあの夏目漱石や正岡子規らと同窓であった。大学時代より読売新聞に入社し、明治33年から5年にわたって『金色夜叉』の連載を開始。その先取的で斬新な文章が国民的な人気を博すが、元来、病がちで身体が弱かったため休載も多く病状が悪化、とうとう最後は途中終了せざるを得なくなる。わずか35歳で亡くなってしまった。ちなみに彼の死去後、ライバルの朝日新聞は東大在学中の夏目漱石を引き抜き、虞美人草を開始している。

未完となった『金色夜叉』は彼の死後、「貫一と宮はどうなったのか?」という読者の声が多く寄せられ、紅葉の弟子の小栗風葉による『終編金色夜叉』、長田幹彦のよる『続金色夜叉』が登場したそうだ。それも結構人気があったらしい。それだけ貫一と宮の熱烈なファンが多かったことなのだろう。希代の名作・マーガレット・ミッチェルの『風と共に去りぬ』も、著者の没後、他の作家によって数本の続編が発表されているのを考えると、いつの時代でも名作というのはファンの声によって新しく蘇るものなのかも知れない。

今回は、原文だと難しい気がしたので、現代語訳が併記された角川ソフィアの抜粋『金色夜叉』を読んだのだが、尾崎紅葉そのものに深く触れたい場合は、岩波書店の原語漢語調『金色夜叉』の方が良いと思う。本屋で岩波本、新潮本も見たけれどそれほど難しくないようだ。

 

『友情』 (新潮文庫) 武者小路 実篤『友情』 (新潮文庫) 武者小路 実篤(むしゃのこうじさねあつ) 大正9年発表


脚本家の野島は友人の仲田の妹杉子に恋をした。杉子への思いは日に日に強くなり、心の中は彼女以外は考えられなくなっていった。ある時彼は一番仲の良い友人の大宮に杉子のことを相談する。大宮は我が事のように親身になって応援してくれた。暑い夏、みんなで鎌倉の別荘に出かけた。恋の行方は野島、大宮、仲田、さらにライバルの早川、大宮の従姉妹武子も交えて進んでいく。だがある日突然、大宮のヨーロッパ留学が決まる。そして彼らの仲は急展開を迎えていった。

------------------------

読後「うーんこれは」と唸ってしまった。男の友情と言うよりも一人の女性をめぐって決闘をする古代劇に出て来そうな、稀に見る青春文学だと思う。大正時代に書かれたにも関わらず全く色あせていない。前半から後半にかけての転換は演劇のようで鮮やかである。野島の若さ故の独りよがりな感情や遠くまで広がる妄想癖は、少し危うさを感じもするがどこか滑稽でもあり、味のあるタイプだ。杉子の言動に一喜一憂して、心の中で喝采を叫んだかと思えば、何気ない一言で奈落の底に落とされて自暴自棄になる。結局、彼の恋愛は一歩進んで二歩後退、三歩進んで一歩後退で中々進まない。さらに苦悩は深くなる。彼と同じ20代の若者ならきっと共感する部分も多いはず。それが青春なのだ。

この青春物語は愛すべき人物が5、6名出てくるが、最終的に残酷なほど勝者と敗者にはっきり分かれる。負けた方は立ち上がれないほど叩きのめされる。だが読んでいても暗澹とした気持ちにならず、むしろ清爽な感情を持つのは、登場する若者たちがみな真剣に生きているからだろう。著者の意図するところでもあると思う。スポーツは必ず勝者と敗者が生まれるが、敗者は勝者を認め、勝者は敗者を称える、だから美しい。同様に野島、大宮、杉子も友情、恋愛、仕事、社会に対して真摯に向きあい、友人を思いやり、敬った。実に立派な若者たちだ。

武者小路実篤は明治18年(1885)に、現在の千代田区一番町で生まれた。父の武者小路実世は子爵、母も公卿で、実篤は8人兄弟の末子だった。学習院から東京帝国大学文科社会科に進み、志賀直哉らと創作勉強会を作った。その後、明治43年に志賀、有島武郎らと創刊した同人雑誌「白樺」は、わが国の文学・芸術に「理想主義」「個人主義」という新しい思想を持ち込んだ。生涯を通しての著書は500冊をこえ、『お目出たき人』『友情』『愛と死』『真理先生』など日本近代文学の代表作を多数残している。40歳から取り組んだ絵画も50,000点以上という。ちなみに本著新潮文庫の装画も同氏画である。

武者小路実篤記念館(調布市)
http://www.mushakoji.org/

 

 

『橋をかける』 (文春文庫)  皇后陛下美智子さま『橋をかける―子供時代の読書の思い出』 (文春文庫)  皇后陛下美智子さま


『橋をかける』は、皇后陛下美智子さまが「第26回IBBY(国際児童図書評議会)ニューデリー大会(1998年)」「IBBY創立50周年記念大会(2002年)」でおこなった講演をまとめたもので、幼少の頃に読まれた新美南吉の「でんでんむしのかなしみ」、倭建御子(やまとたけるのみこ)、山本有三の「少国民文庫」などの本から人と人とのつながりや人間の持つ悲しみや喜びを知り、そして幼少の頃に読む読書の大切さをお話ししされている。

ニューデリー大会の基調講演を読んでいると本当に身体が震えてくる。当初はご本人も参加を予定していたが、やむを得ない事情によりビデオメッセージでの講演になったそうで、当日会場で聞いていた海外参加者が何人も感動して涙を流していたという。穏やかなものごしと深い教養、優雅な品格を持つ皇后陛下美智子さまはまさに日本を代表する女性であり、日本全体の母親でもあると思う。尊敬の念を抱かずにいられない。

「すべて良き書物を読むことは、過去の最もすぐれた人々と会話をかわすようなものである」は仏の哲学者ルネ・デカルトの言葉だが、人は読書を通して過去にも未来、世界中に自由に行き来できる。すでに亡くなってしまった過去の偉人とも話せるし、行ったことのない国にも自由に飛んでいけるのだ。

私の小学校低学年の頃の愛読書は、コナン・ドイルの「シャーロック・ホームズシリーズ」、モーリス・ルブランの「アルセーヌ・ルパンシリーズ」、江戸川乱歩の「少年探偵団・明智小五郎・怪盗二十面相シリーズ」、オトフリート・プロイスラーの「大どろぼうホッツェンプロッツシリーズ」、アガサ・クリスティーだった。ドイル、クリスティーのイギリス、ルブランのフランス、プロイスラーのドイツを通して世界の国々に興味を持った。

読んだ本の数が多ければ多いほど、生きる喜びを、困難に立ち向かう勇気を、人を思いやる愛を、未来を切り開く知識をもらえる。そして人間を大きく成長させてくれる。同じ知識を得るのでもテレビが座ったままで、何も考えなくても入ってくる受動的なものに対して、読書は自分で考え、ページをめくり、想像しなければ得られない能動的な知識である。だから子どもの頃の読書は特に大切なのだと思う。


■皇后陛下美智子さま 第26回IBBYニューデリー大会(1998年)基調講演
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/ibby/koen-h10sk-newdelhi.html

 

 

 

『源平盛衰記』 (勉誠出版) 菊池 寛『源平盛衰記』 げんぺいじょうすいき/げんぺいせいすいき (勉誠出版) 菊池 寛 昭和11年発表


古典源平盛衰記の成立は14世紀前半、鎌倉時代後半から南北朝時代前半と言われているが定かではないようだ。著者も不明である。平家物語の異本(同一原典に由来しながら、伝承の過程で本文の順序や組み立てなどに異同を生じた本)の一つで、全444段48巻にも及ぶ歴史的価値の高い古典である。

菊池寛の『源平盛衰記』は、日本歴史物語全集全10巻の一冊として昭和11年に刊行されたもので、平重盛の次男資盛と摂政基房のを「髻狩り」から始まって、鹿ヶ谷、石橋山、富士川決戦、一ノ谷合戦、屋島、壇ノ浦まで名場面はもちろん押さえられている。内容は「平家物語」とほとんど同じなので詳しくは書かないが、菊池寛は擬声語の使い方や表現方法が上手な人だと、感心してしまう。人が飛び出てきそうだ。読んでいて思わず笑みがこぼれる事もしばしばだ。

平清盛が怒った時の表情はものすごい。頭から湯気がもくもくと出てきて、ボコボコと顔が動き出す、顔はタコのようにみるみるうちに真っ赤になり、グワッと目を見開き、「おいっ!出てこい!早く来んか!」と大きな声で怒鳴り散らして、遠くにいる侍従を呼び出す。ドーン、ドーンと大股で歩いてこっちへ向かってくるその様子は、まるで生きる阿修羅、赤鬼のようで、みんな子犬のようにブルブルと震えている。瞬間湯沸かし器の入道清盛が目に浮かぶようである。

同じ源平合戦でも作家によって雰囲気が違うから本は面白い。人間はみんな違うのは当たり前だけど、例えば吉村昭は知的に淡々と余り感情の起伏無く進むものが多いし、永井路子は女性らしく、しっとりとしつつも直情的、情熱的なところが多分にある。吉川英治は逆にさっぱりとした文章で、自身の人の良さと素直な性格が登場人物に映し出されている。それで菊池寛である。この人はまるで紙芝居小屋の親父みたいだ。一枚の絵を声のトーンや明暗、擬音、間で人物を生き生きと飛び出さんばかりに話す。ちょっとした動きや台詞に人の憎めない部分を描く。そんな感じがする。

ところで私は昔から密かに菊池寛を尊敬していた。この人は作家としても一流だが、なんと文藝春秋社の創業者でもあり、数多ある文学賞の中でも一番格式ある「芥川賞」「直木賞」を創設した人でもある。普通作家というのは自己表現力や独創性を求められるので、企業経営など人を動かす仕事は向かない事が多いと思う。それが証拠に作家出身の社長は個人事務所経営を除いて殆どいないはず。だが菊池寛は作家活動を行いつつ、会社や各賞を通して、新しい作家の育成や援助に力を入れていた。だから素晴らしいと思うのだ。

話が逸れてしまった。

本著で好きなシーンをいくつか。一つは鹿ヶ谷の陰謀で鬼界ヶ島(今の喜界島あたりか)に流された俊寛の話。京都では何千人もを配下に置く堂々とした僧だったが、流されてからの狼狽えは憐れだった。数年後に恩赦状が届いたが、京都に戻れるの事になったのはなぜか俊寛を除く2名のみ。「この書面は間違いじゃ!私も一緒に連れて行ってくれ。頼む!是非じゃ!情けじゃ!」「せめて薩摩まで!ぜひに!拝む!」と迎えに来た船に最後までしがみつく。その時の慌て振りと必死にすがる場面が見事だった。

二つめは宇治川で佐々木高綱と梶原景季が頼朝からもらった馬について、自分の馬の方が良いと張り合っているシーン。高綱がもらった馬は景季も頼朝に懇願した名馬だったが断られていた。その馬がここにあるのはなぜだ?と景季が怒り始めたので、高綱は勝手に頼朝の馬屋から盗んできたとごまかした。それを聞いた景季が納得して「それならば景季も盗めば良かった。正直ばかりでは、良い馬は得られませんな」というところ。これから戦が始まるというのに、ライバルでもある高綱と景季が頼朝からもらった名馬を自慢し合うこののどかさがいい。景季の人の良さというかお人好しなところが出ている良いシーンだと思う。

最後は最終章・寂光土の場面。内緒で大原にある寂光院を訪れた後白河上皇と、平家滅亡後出家した義理の娘・建礼門院の会話である。ついこの前まで同じ宮中で優雅に過ごしていた二人だったが、変わり果てた世の中の儚さをしみじみと感じながら、名残惜しく語り合うところだ。京の山里に西陽が落ちていく様と栄華を誇った平家が没落する様子が重なりもの悲しい。

菊池寛は学生時代から日本の歴史に興味があったようで数多くの著書を残した。今は絶版となってしまったものも多いが、古本で手に入るのもいくつかあるようだ。あとがきを書いた志村有弘氏によると『日本合戦譚』『三浦右衛門の最後』『石橋山』などは特にお薦めで見落とせないらしい。ぜひ探してみよう。楽しみがひとつ増えた。

■菊池寛作家育成会
http://www.kikuchikan.com/

 

このページのトップヘ